,,,
印刷用表示 |テキストサイズ 小さくする|ふつう|大きくする| サイトマップ
HOME>検索>細川忠興
リンク
―茶道もたしなむ愛妻家― 忠興(ただおき) は、1563年に 細川藤孝(ほそかわふじたか)(幽斉(ゆうさい)) の長男として生まれました。 ( ) ( ) 子どものころの名前は 熊千代(くまちよ) 。 忠興(ただおき) は父親といっしょに、 時代(じだい)ごとに力(権力(けんりょく)) をもっている人の () () 味方(みかた) になって、うまく生きていきました。 忠興(ただおき) は 明智光秀(あけちみつひで) の 娘(むすめ) のたま(ガラシャ)と 結婚(けっこん) して、とても 大切(たいせつ) にしました。 1632年に 息子(むすこ)の忠利(ただとし) が 熊本藩主(くまもとはんしゅ) になったのをきっかけに 熊本(くまもと) にうつりました。 忠興(ただおき) は 八代城(やつしろじょう) に住み、83歳のときにこの世を 去(さ) りました。 忠興(ただおき) は 戦(たたか) いがうまい人で、 文化人(ぶんかじん) でもあり、中でも 茶道(さどう) は、 周(まわ)りからも認(みと) められるほどでした。
気になる 写真(しゃしん) をクリックしてみよう!