用語集は行

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俳句(はいく)
5・7・5の17(おん)日本語(にほんご)をつかって作る()
季節(きせつ)をあらわす季語(きご)をいれなければいけないなどのルールがあります。

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俳人(はいじん)
俳句(はいく)()む人のこと。

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幕臣(ばくしん)
幕府(ばくふ)一番(いちばん)(えら)い人である征夷大将軍(せいいたいしょうぐん) (将軍(しょうぐん))に直接(ちょくせつ)(つか)えている武士(ぶし)のこと。
(だれ)でもなれるようなものではありませんでした。

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幕府(ばくふ)
武士(ぶし)政治(せいじ)をおこなう時にそれをおこなう場所(ばしょ)や、政治(せいじ)をおこなうこと。
朝廷(ちょうてい)から征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)という地位(ちい)をもらった人がつくります。
その人は将軍(しょうぐん)とよばれていました。
源頼朝(みなもとのよりとも)がひらいた鎌倉幕府(かまくらばくふ)足利尊氏(あしかがたかうじ)がひらいた室町幕府(むろまちばくふ)徳川家康(とくがわいえやす)がひらいた江戸幕府(えどばくふ)などがあります。

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幕末(ばくまつ)
江戸時代(えどじだい)にあったある時期(じき)のこと。
1853年に黒船(くろふね)が来てから、1869年の戊辰戦争(ぼしんせんそう)までの期間(きかん)のことを言います。

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橋本多佳子(はしもとたかこ)
昭和(しょうわ)俳人(はいじん)のひとり。
高濱虚子(たかはまきょし)と会ったことで、俳句(はいく)をつくりはじめました。
中村汀女(なかむらていじょ)星野立子(ほしのたつこ)三橋鷹女(みはしたかじょ)多佳子(たかこ)の4人は、「四T」と()ばれていました。
用語集にはこんな言葉もあるよ。探してみよう!

1、高濱虚子(たかはま きょし)

2、俳人(はいじん)

3、俳句(はいく)

4、星野立子(ほしの たつこ)

5、三橋鷹女(みはし たかじょ)

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破傷風(はしょうふう)
破傷風(はしょうふう)(きん)傷口(きずぐち)から身体(からだ)のなかにはいることで、病気(びょうき)になります。
北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)世界(せかい)ではじめて、この(きん)純粋培養(じゅんすいばいよう)成功(せいこう)しました。
用語集にはこんな言葉もあるよ。探してみよう!

1、純粋培養(じゅんすいばいよう)

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藩閥政治(はんばつせいじ)
明治時代(めいじじだい)に、薩摩(さつま)(現在の鹿児島県(かごしまけん))と長州藩(ちょうしゅうはん)(現在の山口県)出身(しゅっしん)の人たちが政治(せいじ)独占(どくせん)してしていた政治(せいじ)のこと。

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東の国から(ひがしのくにから)
小泉八雲(こいずみやくも)がかいた本。
日本や熊本(くまもと)について書いてあります。

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微生物(びせいぶつ)
目で見えないくらい小さな生物(せいぶつ)のこと。

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福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)
明治時代(めいじじだい)思想家(しそうか)
江戸時代(えどじだい)には蘭学(らんがく)勉強(べんきょう)しました。
また自分(じぶん)だけで勉強(べんきょう)して、英学(えいがく)勉強(べんきょう)しました。
明治時代(めいじじだい)には、慶応義塾(けいおうぎじゅく)という名前(なまえ)(じゅく)をひらきました。
学問(がくもん)のすすめ』や『西洋事情(せいようじじょう)』などを書きました。

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武将(ぶしょう)
平安時代(へいあんじだい)から安土桃山時代(あづちももやまじだい)(戦国時代(せんごくじだい))、江戸時代(えどじだい)にいた(たたか)う人のこと。

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仏典(ぶってん)
仏教(ぶっきょう)についての本のこと
用語集にはこんな言葉もあるよ。探してみよう!

1、碧巌録(へきがんろく)

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文芸欄(ぶんげいらん)
新聞(しんぶん)雑誌(ざっし)にある、小説(しょうせつ)俳句(はいく)などをのせる場所(ばしょ)のこと。

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碧巌録(へきがんろく)
中国(ちゅうごく)仏教(ぶっきょう)についての本のこと。
この(ほん)(なか)に『(やま)()れ、(みず)()』という文があり、これは後藤是山(ごとうぜざん)の『是山(ぜざん)』というペンネームの由来(ゆらい)になっています。
用語集にはこんな言葉もあるよ。探してみよう!

1、仏典(ぶってん)

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編入(へんにゅう)
(べつ)学校(がっこう)から(べつ)学校(がっこう)途中(とちゅう)から入ること。

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星野立子(ほしのたつこ)
高濱虚子(たかはまきょし)の子ども。
昭和に活躍した俳人(はいじん)
1930年に女性(じょせい)で初めて自分の本を作りました。
中村汀女(なかむらていじょ)橋本多佳子(はしもとたかこ)三橋鷹女(みはしたかじょ)立子(たつこ)の4人で、「四T」と呼ばれていました。
用語集にはこんな言葉もあるよ。探してみよう!

1、高濱虚子(たかはま きょし)
2、俳人(はいじん)
3、俳句(はいく)
4、星野立子(ほしの たつこ)
5、三橋鷹女(みはし たかじょ)

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細川ガラシャ(ほそかわ がらしゃ)
明智光秀(あけちみつひで)の娘で、細川忠興(ほそかわただおき)正室(せいしつ)
もともとはたま(珠・玉)という名前(なまえ)でしたが、キリスト教徒(きょうと)になったことでガラシャという名前(なまえ)をもらったため、ガラシャと()ばれることが(おお)いです。
ガラシャは美女(びじょ)であったといわれており、細川忠興(ほそかわただおき)とは(なか)がいい夫婦(ふうふ)でした。
しかし、(ちち)明智光秀(あけちみつひで)本能寺(ほんのうじ)(へん)をおこしてしまったことで、逆臣(ぎゃくしん)(むすめ)とされ、忠興(ただおき)とも離縁(りえん)(離婚(りこん))させられそうになります。
結局(けっきょく)は、少し幽閉(ゆうへい)されるだけですみ、忠興(ただおき)()どもも()んでいます。
関ヶ原(せきがはら)(たたか)いがおこる直前(ちょくぜん)に、石田三成(いしだみつなり)人質(ひとじち)にとられそうになり、家老(かろう)小笠原(おがさわら)秀清(ひできよ)自分(じぶん)(ころ)させることで()んでしまいました。
自分(じぶん)()ななかった理由(りゆう)は、キリスト教徒(きょうと)自殺(じさつ)をしてはいけないという(おし)えがあるためでした。
用語集にはこんな言葉もあるよ。探してみよう!

1、明智光秀(あけち みつひで)

2、本能寺の変(ほんのうじ の へん)

3、関ヶ原の戦い(せきがはら の たたかい)

4、石田三成(いしだ みつなり)

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細川忠利(ほそかわただとし)
細川忠興(ほそかわただおき)細川(ほそかわ)ガラシャの三男。
肥後(ひご)(今の熊本(くまもと))(はん)藩主(はんしゅ)
天草(あまくさ)島原(しまばら)(らん)にも参加(さんか)していました。
宮本武蔵(みやもとむさし)客分(きゃくぶん)として(まね)くなどもしていました。
用語集にはこんな言葉もあるよ。探してみよう!

1、細川ガラシャ(ほそかわ がらしゃ)

2、天草・島原の乱(あまくさ・しまばらの らん)

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細川藤孝(幽斉)(ほそかわふじたか(ゆうさい))
最初(さいしょ)は、足利家(あしかがけ)に従い、後に織田(おだ)信長(のぶなが)豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)徳川(とくがわ家康(いえやす)に仕えて、重用(ちょうよう)されました。
明智光秀(あけちみつひで)とは友人だったため本能寺(ほんのうじ)の変で協力(きょうりょく)を求められます。
しかし、その(ねが)いを断り、息子の忠興(ただおき)に家をゆずりました。
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1、織田信長(おだ のぶなが)

2、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)

3、徳川家康(とくがわ いえやす)

4、明智光秀(あけち みつひで)

5、本能寺の変(ほんのうじ の へん)

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坊つちゃん(ぼっちゃん)
夏目漱石(なつめそうせき)が1906年に発表(はっぴょう)した小説。
漱石(そうせき)が教師時代に体験(たいけん)したことを元に書かれたもの。
主人公(しゅじんこう)教師(きょうし)である『()つちゃん』。

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本能寺(ほんのうじ)
京都府(きょうとふ)京都市(きょうとし)中京区(ちゅうきょうく)にあるお(てら)
戦国時代(せんごくじだい)には戦国(せんごく)大名(だいみょう)との関係(かんけい)がふかく、織田信長(おだのぶなが)()まる場所(ばしょ)として利用(りよう)していました。
用語集にはこんな言葉もあるよ。探してみよう!

1、織田信長(おだ のぶなが)

2、本能寺の変(ほんのうじ の へん)

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本能寺の変(ほんのうじの へん)
天正(てんしょう)10年6月2日。
家臣(かしん)だった明智光秀(あけちみつひで)京都(きょうと)本能寺(ほんのうじ)に泊まっていた織田(おだ)信長(のぶなが)裏切(うらぎ)り、信長(のぶなが)後継者(こうけいしゃ)信忠(のぶただ)自刃(じじん)させた事件(じけん)
その時に光秀(みつひで)(てき)本能寺(ほんのうじ)にあり」という有名(ゆうめい)発言(はつげん)をしています。
なぜ光秀(みつひで)信長(のぶなが)裏切(うらぎ)ったのかは、(いま)だに分かっていません。
用語集にはこんな言葉もあるよ。探してみよう!

1、明智光秀(あけち みつひで)

2、織田信長(おだ のぶなが)

3、本能寺(ほんのうじ)

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本妙寺(ほんみょうじ)
加藤 清正(かとう きよまさ)父親(ちちおや)のために作ったお(てら)
清正(きよまさ)のこともまつってあります。

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