用語集あ行

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明智 光秀(あけち みつひで)
戦国時代(せんごくじだい)武将(ぶしょう)
織田(おだ)信長(のぶなが)信頼(しんらい)されていた1人ですが、本能寺(ほんのうじ)(へん)をおこし、織田(おだ)信長(のぶなが)(ころ)してしまいました。 その後、天下統一(てんかとういつ)をしようとしますが、織田(おだ)信長(のぶなが)(ころ)してしまったため、光秀(みつひで)味方(みかた)する(ひと)(すく)なく、(たたか)いに()けてしまいます。
そして、(にげ)げようとしたところを竹槍(たけやり)()され(ころ)されてしまいました。
(むすめ)に、細川忠興(ほそかわただおき)(つま)である『たま(ガラシャ)』がいます。
用語集にはこんな言葉もあるよ。探してみよう!

1、武将(ぶしょう)
2、織田信長(おだ のぶなが)
3、本能寺の変(ほんのうじのへん)
4、細川ガラシャ(たま)(ほそかわ がらしゃ)

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朝日新聞社(あさひ しんぶんしゃ)
全国で売られている『朝日新聞(あさひしんぶん)』を作っている新聞社(しんぶんしゃ)
1879年(明治(めいじ)12年)に作られました。

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足利義昭(あしかが よしあき)
室町(むろまち)幕府(ばくふ)の第16代将軍(しょうぐん)で、室町(むろまち)幕府(ばくふ)最後(さいご)将軍(しょうぐん)で、織田(おだ)信長(のぶなが)に助けられて将軍(しょうぐん)になった人物です。
しかし、その信長(のぶなが)に、京都から追い出されてしまったことで室町(むろまち)幕府(ばくふ)は、()わってしまいました。
信長(のぶなが)()んでしまってからは、京都(きょうと)にもどり、将軍(しょうぐん)地位(ちい)についていました。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)天下(てんか)をとったあとに、将軍(しょうぐん)()め、大名(だいみょう)として()きました。

室町(むろまち)幕府(ばくふ)のときの部下(ぶか)に、細川(ほそかわ)忠興(ただおき)(ちち)細川(ほそかわ)藤孝(ふじたか)(幽斉(ゆうさい))がいます。
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1、織田信長(おだ のぶなが)
2、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)
3、細川藤孝(幽斉)(ほそかわ ふじたか(ゆうさい))

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阿蘇(あそ)
熊本県(くまもとけん)にある地方(ちほう)の名前。
阿蘇山(あそさん)有名(ゆうめい)です。

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天草・島原の乱(あまくさ・しまばらの らん)
日本(にほん)歴史(れきし)のなかで一番(いちばん)(おお)きな一揆(いっき)です。
島原藩(しまばらはん)(今の長崎県(ながさきけん)のいちぶ)は、キリシタン大名(だいみょう)有馬晴信(ありまはるのぶ)がおさめていたこともあり、キリスト(きょう)信仰(しんこう)されていました。
天草(あまくさ)でもキリスト教が(さか)んでした。
しかし、豊臣秀吉(とよとみひでよし)がだした『バテレン追放令(ついほうれい)』や江戸幕府(えどばくふ)がだした『キリシタン禁令(きんれい)』の影響(えいきょう)で、キリシタンが迫害(はくがい)されていきます。
また、百姓(ひゃくしょう)は、(おお)すぎる年貢(ねんぐ)(税金(ぜいきん))がかけられていました。
不満(ふまん)がたまっていった百姓(ひゃくしょう)たちが、自由(じゆう)平等(びょうどう)をもとめて()ちあがります。
天草(あまくさ)では、カリスマ(せい)があった16歳の天草四郎(あまくさしろう)大将(たいしょう)にしました。
まずはじめに、島原(しまばら)(はじ)まり、10日後に天草(あまくさ)でも一揆(いっき)が始まりました。
(たたか)いには、3万7千人が参加(さんか)しました。(てき)である幕府軍(ばくふぐん)は12万人にものぼりました。
(たたか)いは、5か月もかかり最後(さいご)には百姓(ひゃくしょう)たちは全員(ぜんいん)殺され、(たたか)いは終了(しゅうりょう)しました。
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1、キリシタン
2、細川忠利(ほそかわ ただとし)

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池田屋事件(いけだや じけん)
幕末(ばくまつ)京都(きょうと)にある旅館(りょかん)池田屋(いけだや)でおこった事件(じけん)
長州藩(ちょうしゅうはん)(今の山口県(やまぐちけん))や土佐藩(とさはん)(今の高知県(こうちけん))、肥後藩(ひごはん)(現在の熊本県)の尊王攘夷派(そんのうじょういは)武士(ぶし)(はな)しあいをしていました。
(はな)しあいをしていると()った新撰組(しんせんぐみ)が、池田屋(いけだや)突入(とつにゅう)
(たたか)いになり、多くの尊王攘夷派(そんのうじょういは)武士(ぶし)()んでしまいました。
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1、新撰組(しんせんぐみ)
2、尊王攘夷(そんのうじょうい)
3、幕末(ばくまつ)

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石田 三成(いしだ みつなり)
戦国時代(せんごくじだい)武将(ぶしょう)豊臣秀吉(とよとみひでよし)につかえた五奉行(ごぶぎょう)の一人。
秀吉(ひでよし)の死後、豊臣秀頼(とよとみひでより)(あと)をつぎ、それを(ささ)えました。
徳川家康(とくがわいえやす)が力をつけたことで、対立(たいりつ)しはじめ、関ヶ原(せきがはら)(たたか)いがおこりました。
はじめは西軍(せいぐん)(豊臣側)が人数も多く勝つと思われていましたが、裏切(うらぎ)(くに)がでてきたことで、東軍(とうぐん)(徳川側)が勝利(しょうり)しました。
その結果(けっか)家康(いえやす)命令(めいれい)で、首を()られて()にました。
三成(みつなり)の首は三条河原(さんじょうがわら)(さら)されました。
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1、武将(ぶしょう)
2、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)
3、徳川家康(とくがわ いえやす)
4、関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)

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一揆(いっき)
百姓(ひゃくしょう)などが、その地域(ちいき)で力をもった人に(たい)して武力(ぶりょく)反抗(はんこう)すること。
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1、天草・島原の乱(あまくさ・しまばらのらん)

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隠居(いんきょ)
家や国で一番(いちばん)(えら)かった人が、その立場(たちば)を他の人に(ゆず)ること。

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内坪井(うちつぼい)
熊本市(くまもとし)にある地域(ちいき)のなまえ。
夏目漱石(なつめそうせき)の3番目の家や、横井小楠(よこいしょうなん)が産まれてすぐに使った井戸(いど)宮部鼎蔵(みやべていぞう)が住んでいた家の(あと)が残っています。

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エッセイ(えっせい)
随筆(ずいひつ)とも言われています。
書いてる人の体験(たいけん)()知識(ちしき)をもとに、自分(じぶん)感想(かんそう)や思いを書いたものです。

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小天 温泉(おあま おんせん)
夏目漱石(なつめそうせき)が友人の山川信次郎(やまかわしんじろう)旅行(りょこう)した場所です。
その旅行(りょこう)をモチーフにして漱石(そうせき)が書いた、小天温泉(おあまおんせん)が舞台にした『草枕(くさまくら)』という作品があります。
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1、山川信次郎(やまかわ しんじろう)
2、草枕(くさまくら)

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織田 信長(おだ のぶなが)
戦国時代(せんごくじだい)武将(ぶしょう)
尾張(おわり)(現在の愛知県(あいちけん))に生まれで、尾張(おわり)大名(だいみょう)
負けるとされた桶狭間(おけはざま)の戦いで勝ち、力をつけ有名(ゆうめい)になっていきました。
天下を統一(とういつ)をする(いきお)いでしたが、家臣(かしん)明智光秀(あけちみつひで)裏切(うらぎ)りで統一(とういつ)する前に本能寺(ほんのうじ)の変で死んでしまいました。
「なかぬなら 殺してしまへ ホトトギス」
という歌が、信長(のぶなが)人柄(ひとがら)をあらわすと言われています。
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1、武将(ぶしょう)

2、明智光秀(あけちみつひで)

3、本能寺の変(ほんのうじのへん)

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