なぜ、水俣を調査のテーマにしたの?
もともと「水俣」という場所をテーマにあげた理由は、水俣という場所に「伝える」という要素が多くあったから。水俣では水俣病という悲惨な郊外が起こり、地域全体が衰退していった。今もなお水俣病問題は終結しておらず、マスコミで取り上げられることも多い。一方、環境モデル都市に認定されたり、観光においてもめざましく成長し、現在は現地に行かなければわからない多くの魅力がある。
その中で、いかに水俣を伝えるか、どの視点で伝えるのか、何を媒体にして伝えるかによってとらえかたが違う。
メディアの在り方が問われているからこそ、「伝える」ということを学べると思った。
これがきっかけ。
話し合いの結果、水俣の復興の背景の一つに地元学というのがある。 どのようにプロデュースしていったのか、どのように全国から観光客が集まるまで、地域のよさを伝えていったのか、非常に興味を持ち、これをゼミ活動、生活に取り入れるためにも、調査したいと考えた。
(水俣出身のメンバーが、これまでの知識や地元の人間としての意見を役立てて皆をリードしていけるよう水俣班のメンバーとして活動した)
なぜ、越小場地区で視察したの?
越小場地区にしたということに特別な理由はない。村丸ごと生活博物館を実施している地区として【頭石・久木野・大川・越小場】の4つの地区があった。確かに、村それぞれの風土の違いはあるかもしれないが、目的や取り組みはそれぞれの地区が皆同じ意思をもって活動しているので「私達が学ぶ」という…ではどこの地域に行っても地元学の村丸ごと生活博物館というものを学ぶことができると思ったから。
11/22は観光客でどの地区も定員オーバーだったところを越小場地区のメニューに特別に参加させていただいたというラッキーな理由で!!
村丸ごと生活博物館って何?
生活学芸員、生活職人として市に認定された村の人自身が村を案内したり、村の食べ物を提供したり、村ならではのわざを紹介したりする。1人で歩くとなんでもない村でも村の人の案内と私たち参加者の驚きが加わることで、数え切れない知恵や言い伝えなど今まで隠れていた村の生活文化や物に眠っていた物語が引き出されていく。
外の人の目が入ったり、案内することで村の人自身もあたり前に思っていたことが実は当たり前じゃないんだと村の魅力を再発見し、どんどん村が元気になっていった。
市役所の方によると、これを「村がお化粧を始めた」と表現している。
村丸ごと生活博物館に行って学べたことは?
誰かが立ち上がらなければいけないということ。そのためには足元をしっかり見つめなおすということの大切さ。当たり前ではないということ。吉本哲郎さんって誰
地元学の本を参照。(あるもの探しのページ) 地元学を始めた人。もともと水俣市役所で活動されていた方。サイバー世界って何?
コンピューターネットワークプレゼンのタイトルの意味は?
韻を踏んでみた。リズムに乗ってあわせてもらうことで、より皆さんに「あるもの探し」という言葉を耳にとどめていただくよう工夫した!これまでの活動の中で大変だったことは?
フィールドワークで学んだことをどう表現するかという話し合い。津曲ゼミで学ぶ意味をどう引き出すのか。目的をしっかり見直す作業が必要だった。しかし、その中で学んだことが多い。雑談の中からの学び。
また、地道な作業が多かった。(ストップモーション)
これまでの活動の中で嬉しかったことは?
水俣班の活動に他の班や先輩方、先生、皆さんに協力してもらった。(FWや勉強会、アイディアや感想をもらうなど。)
水俣市で他に取り組んでいることは?
・環境ISO・ゴミの22分別
・リ・グラスロード など
イメージ力を高めるためにはどうすればいい?
「当たり前こそすごいもの。当たり前にあるものを探す」⇒あるもの探し。料理をしてみる。やはり過程として、あるものをまずは探すことが大切。ここから、このあるもので何かできないか常日ごろ考えておくこと。
村丸ごと生活博物館で印象に残っていることは?
・「村を活かす力」「無い」のではなく、「気付けない」だけだったと分かったこと。・農機具を村人の共有制に。柿木。
・市役所の冨吉さんのお話
なぜ絵地図を広用紙に作ろうと思ったの?
紙で手作り。純粋に村丸ごと生活博物館の地元学の方法でやって、そこに津曲ゼミならではという組み合わせがしたかった。最初は紙が大きすぎて余白が多かった。しかし、素直に発見したのを書いていくことでどんどん紙が埋まっていった。
こんなに気付きがあったのか!と絵地図が完成して魅力を再発見することができた。
これが絵地図の良さ。だから地元学ではこの絵地図をゴールにしていたのか!と感じた。(他の案として、スケッチブックやパズルなど色々考えていた)
なぜパソコンで作ろうと思ったの?
情報ゼミだから。InDesignの最新版や3Dなど最新機器でつくろうとした。(まだあるもの探しをしていなかったとき)
なぜストップモーションになったの?
絵地図の目的は、あるもの探し「アナログの良さ」を表現するもの。一方、ストップモーションの目的は、「越小場の魅力を伝える」と目的を明確にしていた。
魅力を伝えるためにはどうすればいいか考えていた結果このアイディアがでた。
「これこそあるものとあるものを組み合わせて新しいものを作り出す第二のあるもの探し」 もともと、youtube「オオカミとブタ」を見て、作れたらすごいなと思っていた。
ストップモーションってどのように作るんですか?
・写真をコマ取り↓
・フォトショップで写真を編集
↓
・フラッシュで編集