熊本県立大学文学部紀要 (ISSN 1341-1241)
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※通巻号数は、前身の「熊本女子大学学術紀要」から引き続いて数えられています。
2002年の9巻~13巻の掲載論文は、国立情報学研究所の学術雑誌公開支援事業により電子化し、全文を公開しています。(各論文タイトルをクリックするとPDFが開きます)
10巻2号(通巻63号) 2004年3月発行
表紙 | ||
Godlinessにおける主人公たちのグロテスク性 | 小園敏幸 | 1-22 |
Our Townにおける地上と永遠 | 徳永紀美子 | 23-37 |
メタ言語的否定と「エコー」 | 三木悦三 | 39-66 |
クルト・ケプルナー著『戦争の国への旅 : ユーゴスラビアでの一外国人の体験』抄訳(1) | 元吉瑞枝 | 67-89 |
「かかわり度仮説」 : 語彙学習への新たな展望、その可能性と課題 | 吉井誠 | 91-101 |
人麻呂歌集七夕歌の表記 : 用字法から見た歌群意識 | 山崎健司 | 103-122 |
奥付・裏表紙 |
10巻1号(通巻62号) 2003年12月発行
表紙 | ||
Muriel Sparkの小説における時間の移動 | 小辻梅子 | 1-12 |
セゼールを回収する権利は誰にあるのか? : ジェイムズ・クリフォードの『文化の窮状』とエメ・セゼールの文化論(1) | 砂野幸稔 | 13-26 |
Saint Maybeにおける社会性 | 徳永紀美子 | 27-40 |
A Kidnapped Orphanと未来のNabob | 難波美和子 | 41-54 |
文末「か」構文の意味的体系 | 半藤英明 | 55-74 |
奥付・裏表紙 |
9巻2号(通巻61号) 2003年3月発行
表紙 | ||
「熊本女子大学郷土文化研究所」について | 上河一之 | 1-55 |
兼好伝の造型 : 『園太暦』偽文を読む | 川平敏文 | 57-84 |
杜光庭の思想(下) : 「虚心」と「無心」 | 山田俊 | 85-110 |
奥付・裏表紙 |
9巻1号(通巻60号) 2002年12月発行
表紙 | ||
「インドの昔話」の成立と19世紀末イギリスの民俗学研究(1) | 難波美和子 | 1-9 |
杜光庭の思想(上) : 「道氣」と「樂記篇」 | 山田俊 | 11-38 |
「は」構文の成立条件 : 「魚は鯛がいい」をめぐって | 半藤英明 | 39-52 |
奥付・裏表紙 |
8巻2号(通巻59号) 2002年3月発行
中間構文と「総称化」--認知言語学的方式に寄せて | 三木悦三 | 1-23 |
派生接尾辞-ishの多義構造(1) | 清水啓子 | 25-43 |
Interaction through Text Worlds | 冨田早苗 | 45-58 |
SPI(下田式性格検査法)の改訂版の作成とその有効性の研究--SPI改訂版の作成 第2報 | 田中宏尚/塩見邦雄/吉岡千尋 | 59-72 |
反ファシズム・エージェンシーの可能性--ナチス政権成立直前における「共産主義の危険」 | 星乃治彦 | 73-98 |
セネガル政府の言語政策の推移 | 砂野幸稔 | 99-114 |
8巻1号(通巻58号) 2001年12月発行
「見えさせる」「見えさせられる」の意味と用法--使役の助動詞「させる」における意味の遊離について(2) | 馬場良二 | 1-15 |
ドイツにおける反ファシズムのポテンシャル--1932年夏の「反ファッショ行動」 | 星乃治彦 | 17-52 |
Uber Unter Tranen fragend von Peter Handke--Nachwort der Ubersetzerin | 元吉瑞枝 | 53-65 |
『昇玄經』の巻次と「内教」について | 山田俊 | 21-46 |
「こそ」構文の形態的変遷--係結びの崩壊に学ぶ | 半藤英明 | 1-19 |
7巻2号(通巻57号) 2001年3月発行
ヴァイマル末期ドイツ共産党の党内事情--「ノイマン・グループ」の評価をめぐって | 星乃治彦 | 1-28 |
セネガルにおけるウォロフ化の進行と場面による言語選択(7)ファティック | 砂野幸稔 | 29-50 |
テイル解釈における認知処理 | 村尾治彦 | 51-76 |
「見えさせる」「見せさせられる」の意味と用法--使役の助動詞「させる」における意味の遊離について | 馬場良二 | 77-101 |
Subject selection in psychological events--experiencer subject vs.stimulus subject | 清水啓子 | 103-119 |
7巻1号(通巻56号) 2000年12月発行
One Birdにおける成長物語を支えるもの | 徳永紀美子 | 1-14 |
素性から動詞移動へ--英語とギリシャ語の比較対照 | 村上まどか | 15-31 |
サールと「遂行性」--言語行為論の再構築のために | 三木悦三 | 33-57 |
Thai Beliefs and the Implications for Education | Kirk patrick Robert | 59-82 |
セネガルにおけるウォロフ化の進行と場面による言語選択(6)バケル | 砂野幸稔 | 83-103 |
SPI(下田式性格検査法)の新改訂版の作成(1) | 田中宏尚/塩見邦雄/吉岡千尋 | 105-120 |
ヴァイマル共和制末期ドイツ共産党の「苦悩」--新しい研究動向と史料状況を背景に | 星乃治彦 | 121-148 |
"A measure essentially unjust":Translation and Betrayal in the Traty of Waitangi | Cleary Farrell | 149-206 |
庭訓往来を巡る注釈の学--真名抄周辺資料点綴 | 鈴木元 | 208-238 |
『日本考』の研究--語彙の性格(5) | 福田益和 | 240-258 |
6巻2号(通巻55号) 2000年3月発行
自他動詞間のゆらぎと構文 | 村尾治彦 | 1-14 |
セネガルにおけるウォロフ化の進行と場面による言語選択(5)タンバクンダ | 砂野幸稔 | 15-35 |
「語り」の位相 | 三木悦三 | 37-51 |
Conceptual Blending between Constructions: the Case of (Just) Because A doesn't mean B | 清水啓子 | 53-66 |
学部留学生のための内容重視の日本語教育--テーマを中心として | 梅田千砂子 | 67-80 |
6巻1号(通巻54号) 1999年12月発行
事態の自律性と自他交替 | 村尾治彦 | 1-16 |
セネガルにおけるウォロフ化の進行と場面による言語選択:Ⅳ.ポドール | 砂野幸稔 | 17-33 |
English in Aotearoa/New Zealand:Post(?)Colonial Identities. | Cleary Farrell | 35-63 |
褚伯秀「南華眞經義海纂微」の採註態度について (注:褚はころもへんに者) |
山田俊 | 65-98 |
5巻2号(通巻53号) 1999年3月発行
セネガルにおけるウォロフ化の進行と場面による言語選択:Ⅲ.サンルイ | 砂野幸稔 | 1-22 |
A Bilingualism of development for Senegal. | Jean-Leopold Diouf | 23-29 |
Wolofal,realities and prospect | Mamadou Cisse | 31-46 |
戦後の台湾における日本統治期に関する研究論文・著書目録(1945-1995) | 弘谷多喜夫 | 47-125 |
「日本考」の研究 -語彙の性格-(四) | 福田益和 | 127-150 |
三島由紀夫「金閣寺」の世界(四)-第六章の構造- | 竹原崇雄 | 152-172 |
5巻1号(通巻52号) 1998年12月発行
現代日本語のノダと主体的表現の形式 | 福田嘉一郎 | 1-15 |
Homesickness in Dinner at the Homesick Restaurant | 徳永紀美子 | 17-35 |
仮定法補文節における not:Potsdam(1997)についての評論 | 村上まどか | 37-49 |
Stephen Krashen versus Grammer Teaching | Kirkpatrick Robert | 51-55 |
Deutsche Auffassungen des Tanaka.Analogien, Vorurteile und deren Uberwindung | Andreas Wittbrodt(Mainz) | 57-89 |
十六・七世紀朝鮮語における形態素‘’a/’e’について | 勝木初美 | 91-114 |
三論「太上妙法本相經」-「本相經」巻第十と「種・類」の思想 | 山田俊 | 116-138 |
4巻2号(通巻51号) 1998年3月発行
"Preservation":Carverにおける歪みの構図 | 徳永紀美子 | 1-12 |
現代英語圏哲学における実在論と新理論-Michael Devitt教授の理論- | 梅林誠爾 | 13-30 |
セネガルにおけるウォロフ化の進行と場面による言語選択:Ⅱ.ジガンショール | 砂野幸稔 | 31-56 |
イベント構造と事態認知モデル | 村尾治彦 | 57-77 |
イヴァン・ゴルのハイカイについて | 元吉瑞枝 | 79-110 |
「日本大文典」「日本小文典」に見られるロドリゲスのsonsoneteについて | 馬場良二 | 111-121 |
Wallace Stevens' Poety | Clive Stroud-Drinkwater | 123-137 |
日本語教授法ゼミの口頭発表場面における質疑応答-学生の回答に対する教師の評言- | 梅田千砂子 | 139-148 |
4巻1号(通巻50号) 1998年3月発行
無声化母音は摩擦音である | 馬場良二 | 1-22 |
現代日本語におけるモノダの構文と意味 | 福田嘉一郎 | 23-35 |
Muriel Sparkの諷刺小説 | 小辻梅子 | 37-48 |
セネガルにおけるウォロフ化の進行と場面による言語選択:I.ダカール | 砂野幸稔 | 49-70 |
Liebe und Abshied Johann Wolfgang v.Goethes Marienbader Elegie | Wittbrodt Andreas | 71-82 |
三島由紀夫「金閣寺」の世界(三)-第四章・第五章の構造- | 竹原崇雄 | 84-114 |
「道體論」攷-「道體」と「萬物」 | 山田俊 | 116-144 |
3巻(通巻49号) 1997年3月発行
ロラン・バルトの俳句と恋愛のディスクール | 元吉瑞枝 | 1-22 |
エメ・セビール論Ⅱ | 砂野幸稔 | 23-55 |
ラジオ放送からみた1956年ハンガリー動乱 | 星乃治彦 | 57-86 |
なぜ「射┐た?」は居┌た?」に化けないか | 馬場良二 | 87-100 |
熊本県立大学学部留学生の日本語に関するニーズ調査 | 梅田千砂子 | 101-116 |
「風が吹く」考 -マンスフィールド文学の転機 | 平田喜文 | 117-126 |
意味と「遂行性」 | 三木悦三 | 127-152 |
「太上大道玉清經」の思想 | 山田俊 | 154-180 |
朗読研究会と朗読論 | 小櫃万津男 | 182-198 |
三島由紀夫「金閣寺」の世界(二)-第二章・第三章の構造- | 竹原崇雄 | 200-228 |
2巻(通巻48号) 1996年3月発行
言語・意味・共同体 | 三木悦三 | 1-24 |
On Case Checking of Wh-phrases | 西岡宣明 | 25-40 |
自動詞・他動詞・可能動詞 | 福田嘉一郎 | 41-55 |
マルクヴァルトの「古英語のケニング-古ゲルマン詩文体論への寄与-」(一) | 下瀬三千郎 | 57-82 |
Brief aus der gegenwartigen Sicht -uber Kafka hinaus- | 元吉瑞枝 | 83-97 |
Methods of Analogy and the Continuity of Scientific Theories | 梅林誠爾 | 99-122 |
エメ・セビール論Ⅰ | 砂野幸稔 | 123-136 |
韓国留学報告 -祥明女子大学校での日本語の授業 | 馬場良二 | 137-155 |
「三論元旨」の思想 | 山田俊 | 157-184 |
三島由紀夫「金閣寺」の世界 | 竹原崇雄 | 185-214 |
「日本考」の研究 -語彙の性格-(三) | 福田益和 | 216-236 |
1巻(通巻47号) 1995年3月発行
時間の流れについて-マクタガート時間論の検討- | 梅林誠爾 | 1-23 |
ナチ体制初期におけるミュンツェンベルクの思想と行動 | 星乃治彦 | 25-44 |
Die nachtlichen Stunden -zwischen Kafka und Milena | 元吉瑞枝 | 45-66 |
マルクヴァルトの「古英語のケニング」(11)(最終回) | 下瀬三千郎 | 67-85 |
Tongue Twister Effect In L2 Silent Reading | 森千鶴 | 87-118 |
アイロニー試論 -社会的制裁としてのアイロニー- | 三木悦三 | 119-140 |
ハックルベリィ・フィン -「その浪漫的な宿無し小僧」- | 加藤宗幸 | 141-159 |
ロドリゲス「日本大文典」の成立-「ラテン語学」の与えた影響 その2- | 馬場良二 | 161-182 |
九州方言の統計的研究 | 稲川順一 | 184-202 |
「日本考」の研究 -語彙の性格-(二) | 福田益和 | 204-226 |
道は人を度はず、人自ら道を求む-「太上妙法本相經」の思想 | 山田俊 | 227-250 |