写真館
A photograph collection
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大観峰とは
What's Aso-Daikanbo?
大観峰とは阿蘇外輪山の最高度地点にある標高935.9mの山である。
駐車場から10分ほど歩いたところに天然の展望台を持ち,そこからは阿蘇五岳や九重連山,下には田畑が広がるカルデラ盆地の阿蘇谷を一望することができる。
昔はその特性から「遠見ヶ鼻」と呼ばれていたが,熊本出身の徳富蘇峰によって「大観峰」と名づけられた。
晴れていたら360°のパノラマを楽しむことができる。
また秋から冬の夜明け頃から午前中にかけては,たまに雲海を見ることができる。雲海とは大観峰より標高の低いところに雲が発生し,阿蘇谷を覆ってしまう現象で,雲の上に五岳が浮かんでいるかのような幻想的な風景を見ることができる。
遠見ヶ鼻之碑銘
往昔 阿蘇豪族が手野宮川の上流に居館を構えて阿蘇谷に君臨した。外敵防御の西の砦がここ遠見ヶ鼻であった。この由緒ある名称が大観峰と変ったのは凡を次の理由がある。
大正十一年(一九二二年)五月十七日徳富蘇峰は初めて阿蘇中岳に登り次いで遠見ヶ鼻にも足を延した。その時同行の人に勧められて大観峰と命名した事情が紀行「煙霞勝遊記」に書かれている。
- 本会は十五周年記念事業として阿蘇町と諮り敢えてこの碑を建て永く後世に伝うる所以のものである。
昭和六十一年 五月十八日
阿蘇の自然と文化を守る会 会長 楽山幸仁哉撰
(遠見ヶ鼻之碑銘より)
観光情報
詳細マップ
周辺情報
Information around the spot
イベント
Event
阿蘇の大火文字焼き |
[画像提供:くまもと観光キャンペーン URL:http://kumamoto-kankou.com/]
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内容 |
山に「火」という形で火を焚く。
阿蘇に春を呼ぶ阿蘇の火まつりの一環として,毎年3月上旬に行われ,この火文字は阿蘇山の往生岳と内牧温泉から1キロ程先の本塚の2か所で焼かれる。
2か所で焚くため上下を組み合わせて「炎」と読むことができる。
火文字の大きさは往生岳が縦横350m,本塚が縦横90mという大規模なもので,遠く大観峰からでもはっきりと見える大きさである。
18:00頃から火入れが始まり,18:30には「火」の字を視認することができる。
また17:30からは内牧温泉特設会場にて1500発の花火も打ち上げられる。
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開催日 |
平成22年3月13日(土)
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時間 |
13:00~20:00 (雨天決行)
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問い合わせ先 |
阿蘇の火まつり実行委員会 0967-24-5117
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URL |
阿蘇ポータルサイト
http://www.aso.ne.jp/~koiki/03_event/himaturi.html
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豆知識
Did you know?
大久保橙青の句碑
鷹舞うて阿蘇を遮るものもなく
昭和二十六年十一月三日,高野素十をここ大観峰に案内したとき詠んだ句である。
本名大久保武雄。明治三十六年熊本市に生まれる。逓信省在職中,富安風生の下に俳句を始め,その後高浜虚子に師事した。昭和六十二年ホトトギス同人会長に就任し,同会の発展に尽した。平成八年十月十四日永眠。
- 小国町大字上田の時松 武(俳号竹史)氏建立。現戸主時松陽一氏のご好意により宅地内より移設。
平成十四年十一月 阿蘇町
高浜虚子の句碑
秋晴の大観峰に今来り
ここ大観峰を初めて訪れた虚子が,目の前に広がる阿蘇の雄大な風景を詠んだ句である。
昭和二十四年,九州入りした虚子一行は,小国を訪れることとなっていたが,急用で引き返すこととなった。三年後の昭和二十七年十一月十一日,虚子は念願であった小国行きを果たし,すぐここ大観峰へ向かった。そのとき詠んだ句であり,小国行きを果たした深い感懐がこめられている。のちに虚子はそのいきさつを小説『小国』にしている。
平成十五年七月 阿蘇町
交通アクセス
Traffic access
【アクセス】
JR |
熊本駅~(豊肥本線・宮地行)~内牧駅【約1時間20分:1080円】+タクシーまたはバスにて30分程
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車 |
熊本IC~(国道57号線)~(国道212号線)~大観峰展望所【約1時間10分】
中岳~(県道111号線)~(国道57号線)~(国道212号線)~大観峰展望所【約1時間】
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