中村汀女 of すごかもん

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なかむら  ていじょ

中 村 汀 女


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ふるさとと母を愛しうたい続けた女流俳人

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 中村汀女は、1900年4月11日熊本県熊本市 画図えず 生まれの、女流俳人である。本名は 斎藤破魔子さいとう はまこ 。画図の村長でもあった父と母の一人娘として生まれ、江津の豊かな自然の中でおおらかに育った。熊本県立熊本高等女学校補習科(現・第一高等学校)卒業後、18歳で句作をはじめ、初めて詠んだ句『吾に返り見直す隅に寒菊紅し』が認められ、俳人として本格的に歩み始める。
 結婚後、転勤や子育てに追われしばらくの間句作を中断していたが、昭和7年に横浜で句作を再開する。その後、 高濱虚子たかはま きょし に出会い大きな影響を受けた。その後 汀女ていじょ は、 虚子きょし の娘・ 星野立子ほしの たつこ と競い合いながら大きく飛躍し、 三橋鷹女みつはし たかじょ 橋本多佳子はしもと たかこ を加えた4人(通称:四T)で、「ホトトギス」婦人句会のメンバーとして活躍する。

昭和22年4月、汀女は戦後の混乱・紙不足の中で「 風花かざはな 」創刊する。 門下生もんかせい には主婦が多く、円満な人柄と指導で女性の俳句好きを増やした。「風花」創刊は女性たちに俳句を広め盛り上げた一因になり、汀女の功績は大きい。

 汀女は、昭和63年(1988年)88歳で亡くなるまで俳句の発展に努め、たくさんの作品を残しており、現在の俳句界に大きな 影響えいきょう を与えた人物となった。

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中村汀女について

・近代文学館

石碑2(江津湖).JPG近くには漱石の(そうせき)の石碑もあります。
記念樹(江津湖).JPG江津湖にある汀女(ていじょ)の 記念樹です。 地元の方々が植え大切にされています。
石碑(江津湖).JPG緑豊かな江津湖の中にあります。
人形(近代文学館).JPG近代文学館にある手作りの ていじょの人形。 椅子(いす)に座って展示してあります。