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宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)偉人アニメーション

偉人アニメーション文章

宮部 鼎蔵みやべ ていぞう
拙者(せっしゃ)は宮部鼎蔵。
家は代々(だいだい)医者(いしゃ)家庭(かてい)だが、拙者(せっしゃ)伯父上(おじうえ)の家をつぎ、軍学(ぐんがく)をまなんでいた。
30歳の時に(えら)ばれ、時習館(じしゅうかん)(いくさ)仕方(しかた)をおしえていたのだ。
その時は横井小楠(よこいしょうなん)先生とも仲良(なかよ)くしていたのだが、その後は(かんが)えかたのちがいで、話さなくなってしまった。
彼は途中(とちゅう)開国派(かいこくは)に変わってしまったからね。
弟の春蔵(しゅんぞう)がまきこまれた、水前寺乱闘事件(すいぜんじらんとうじけん)影響(えいきょう)で、拙者(せっしゃ)の仕事はなくなってしまった。
でもあきらめずに江戸(えど)の世の中を変えようとしてきたのだ。
尊王攘夷(そんのうじょうい)をはたすべく、たくさんのことをしてきた。
しかし、池田屋事件(いけだやじけん)新撰組(しんせんぐみ)においこまれ、拙者(せっしゃ)は自分で(いのち)()ってしまった。
それでも拙者(せっしゃ)の考えは世の中のためを思ったものであった、そう断言(だんげん)できる。