宮本武蔵 of すごかもん

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みやもと むさし

宮 本 武 蔵


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一生を剣にささげた男

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宮本武蔵みやもと むさし は、天正12年(1582)に 播磨はりま 国(現・兵庫県)で生まれた。(天正10年(1584)に 美作みまさか 国(現・岡山県)で生まれたという説もある。)13歳で初めて勝負をしてから、28~29歳頃まで60余りの勝負をし、負けたことがないといわれている。また、慶長17年(1612)には巌流島で 佐々木小次郎ささき こじろう と勝負し、勝利した話は有名である。

武蔵むさし が熊本に来たのは57歳の時である。寛永17年(1640)8月、肥後熊本の細川藩の藩主、 細川忠利(ほそかわただとし) 米300石 千葉城跡 に建てた家を贈り、 客分 となったことがきっかけである。武蔵は画を書くのも得意で、亡くなるまでの5年間、連歌や書画をして月日を過ごしていたという。そして寛永20年(1643)10月10日、金峰山にある岩戸山・霊巌洞にこもり『 五輪書ごりんのしょ 』を書き始める。
しかし、 霊巌洞れいがんどう にこもって1年がたったころ、 武蔵むさし は病気になり、その後は千葉城跡の家で看護をうけながら過ごした。死を前にした 武蔵むさし は、激動の時代を生きてきた自らの生涯を振り返り『 独行道どっこうどう 』を書きつける。そして天保2年(1645)5月19日、千葉城跡の自宅にて62歳で没した。

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関連スポット


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くわしく知りたい

井戸.JPG武蔵が生前使っていた井戸です。
像(武蔵塚公園).JPG公園内には他にも五輪の書を示した石碑もあります。
島田美術館.JPG武蔵に関する資料があります。
引導石.JPG熊本大学の近くにあります。
旧居.JPG武蔵の昔の家があった場所です。