宮部鼎蔵 of すごかもん

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みやべ  ていぞう

宮 部 鼎 蔵


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知られざる肥後の 志士

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 御船町出身(旧七瀧村)で名前は 増実ますざね 倒幕(討幕)運動 のさきがけとなって活躍した人物である。代々医者の家だったが本人は医者にはならず、おじさんの家をついで 山鹿流 軍学 をおさめ、30歳で熊本藩の 軍学師範 になり、 内坪井 に住んだ。
 その後、水前寺乱闘事件が起こるまで軍学師範を8年間にわたり めた。
長州藩の 吉田松陰 とは1850年に知り合って以来、 のいい友達。
吉田松陰よしだ しょういん と東北へいっしょに行き、さまざまな藩の志士と関わり 尊王攘夷 の信念を深くし,帰ったあと 国学 を学んだ。
 その後、重要人物として京に上り活躍した。1864年6月5日に同志と会合中、 新撰組しんせんぐみ におそわれ、戦いの末、自殺した。( 池田屋事件 )。この時 鼎蔵ていぞう は45歳であった。 遺体いたい は熊本市小峰墓地に埋葬されている。


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くわしく知りたい

宮部鼎蔵について

・宮部鼎蔵生家跡(熊本県庁)

P9130642.JPG鼎春園の銅像です。
P9130664.JPG周りは木々にあふれ自然がいっぱい!! ひっそりとした場所にあります。
P9130669.JPGていぞうが生まれた家の井戸に近いところにあります。
PIC_0208.JPG昔住んでいた家の跡。 現在は石碑が立っています。