きたさと しばさぶろう
北里 柴三郎
阿蘇が生んだ科学者
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1853年1月29日、四男四女の長男として熊本県阿蘇郡小国町で生まれた。母の家系が武士の出身であることから、柴三郎自身も武術を得意とし軍人を目指していた。しかし、両親は軍人ではなく勉学を好んで、熊本医学校に入学させた。医学校で
マンスフェルト
と出会い柴三郎自身の人生を変えた。そこで、顕微鏡からみえる小さな世界・・・
微生物
の世界へのめりこむ。
22歳のとき、マンスフェルトのすすめにより熊本を離れ東京医学校で学ぶようになる。学位を取得して、ドイツへ留学した。そこで、
コッホ
のもとで
細菌学
を学ぶようになる。1889年に世界初の
破傷風
菌の
純粋培養(じゅんすいばいよう)
をした。日本に帰国してからは、
伝染病に関する第一人者として北里柴三郎の研究は、海外に負けず日本人も科学者として技術や能力があるのだと伝えている。
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