令和4年11月30日(水)大ホールにおいて、「新熊本学 ことば、表現、歴史」の特別講義「天草知ろう 地域の魅力をカタチに」を開講しました。講師は、本学客員教授であり、熊本日日新聞編集局長やテレビくまもとでニュース解説委員を務められた平野有益先生です。
先生は近著『流行歌手横田良一と「天草小唄」』の取材のため、足繫く天草に赴き、その中で心に留めた天草の魅力を古地図・インタビュー記事・歴史書などを駆使し紹介しつつ、これから私たちが興すべき活動のアイディアを提案くださいました。
天草の面積は、東京23区やシンガポールよりも広く、熊本県の1割強を占めています。天草市は県内自治体で最大の面積ですが、一方、人口は熊本市の10分の1ほどです。歴史的には、郷土史家濱名志松氏の言の通り「細川さんのお世話になったことがない」ため、長崎や薩摩の影響を色濃く受け、熊本とは異なる風土・社会体制が保持されてきたこと、一方で、天草・島原の乱や五千人もの隠れキリシタン発覚(天草崩れ)に端的に見られるように、長きにわたるキリスト教信仰の歴史を持っていたこと、また、肥沃な土地が少なかったため、出稼ぎや海外渡航についても積極的で、「稼いで豊かになる」という気風と開かれた自由な精神が養われたことを説明されました。
1966年に天草五橋が完成し天草が半島として熊本の陸続きになったことを、郷土史家堀田善久氏は「五橋はプラスが多い。…天草コンプレックスもなくなった」と評しています。時化(しけ)による海路の欠航といった生活上の不便の解消に加えて、自身が暮らす地域に対する誇りを取り戻す契機にもなったということです。
以上を踏まえ、後半は天草の魅力を2つの視点から説明されました。
その下地は五橋開通を遡ること10年、1956年の雲仙天草国立公園誕生にありました。指定のため視察に訪れた田村剛、脇水鉄五郎は、海岸美や龍ヶ岳山頂からの眺望を絶賛する言葉を残しています。国立公園への指定は、天草の風土と地形が自他共に認める地位を獲得したことの証しといえるでしょう。
①ガルニエ神父が設立した大江天主堂(大江地区)や世界文化遺産の崎津天主堂(崎津地区)及びその周辺地域の保全がなされ、本渡のキリシタン館、河浦のコレジョ館、上天草の天草四郎ミュージアム、苓北町歴史資料館、高浜の上田資料館等で独自の資料が展示されるなど、キリシタンの島としての歴史の奥深さを実感・学習できる。
②海岸部の奇観に加えて、恐竜時代の地層の露頭、マグマ涌出に起因する「天草陶石」の産出、イルカの聖地、夕日の天草といった海に関わる景観や自然科学上の価値を実感できる。
こうした伸びしろの多い天草を、まずは訪れて、そしてできることなら、地域の魅力をカタチにしていく活動に加わってほしい。学生へのこの期待の言葉で講義は締めくくられました。
最後に、豪商石本家屋敷、高浜ぶどう、瀬戸大橋の歩道橋、宮地岳かかしの里などを取り上げ、これらに共通する魅力は、今そこにあるものを生かし、磨いていこうとする営みが地域の中で実を結んでいることである、とまとめられました。